インドネシア介護研修生(2009年1月28日着任)

 第1回インドネシアEPA看護師候補者・介護福祉士候補者研修生、ユリさんとラトナさんに来ていただきました。2009年1月28日に当法人へ着任し、4年間介護を学ばれました。

2008年8月8日
インドネシア介護福祉士候補開講式
2009年
お正月に届いた年賀状
  • 【伊勢新聞(2009年1月30日)より】
    インドネシア人女性2人 介護職就労 「一生懸命働きたい」

     尾鷲市南浦の「長茂会・特別養護老人ホームスバル台」で働くのは、昨年四月にインドネシアの看護大学を卒業したユリ・スティアニングシーさん(22)、ラトナ・ニングシーさん(24)の二人。昨年八月から横浜市で語学研修などを受けた後、二十八日に同法人が用意した寮に入った。二月一日から就労を開始する。当面は七時間を就労、一時間を語学や介護の勉強に充てるという。

      世古豊(れい)施設長は、「将来の介護業界の向上につながってほしい。文化の違いなどはあるが、職員全員でサポートしていく」と話し、二人は「日本の高齢者医療は先進的。さまざまなことを学び、一生懸命に働きたい」「プロフェッショナルになれるよう、仕事も勉強もベストを尽くします」と意欲を見せていた。また尾鷲市の印象について「自然があって良い所。町の人とも交流をしていきたい」と話していた。

  • 【朝日新聞三重版(2009年1月31日)より】
    インドネシアから介護士候補
    お年寄り「頑張って」「優しそう」 尾鷲・伊勢に赴任

      日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づき来日していたインドネシア人介護福祉士候補者の女性4人が半年間の研修を終え、尾鷲市と伊勢市の特別養護老人ホームに赴任した。働きながら3年後の国家試験合格を目指す。県内初の受け入れで、人材が不足する介護分野で外国人を活用するモデルケースになるのか注目される。

     尾鷲市南浦の山あいにある特養「スバル台」。30日、ラトナニングシーさん(24)とユリスティアニングシーさん(22)を迎える歓迎式があった。2人はホールに集まった約30人のお年寄りに「よろしくお願いします」と日本語であいさつ。手を握ったり、体をさすったりしながら一人ひとりと対面した。

     お年寄りからは「体に気をつけて頑張ってね」と声がかかった。植松武男さん(80)は「若いのにこんなところまで来てくれて。優しそうな人でよかった」と喜んだ。

     ラトナニングシーさんは「何をしたらいいか少し心配。でも職員も利用者さんもとても優しい」。ユリスティアニングシーさんは「みんな優しい顔をしていて安心しました。たくさん日本語を覚えたい」と話した。職員との会話でわからない言葉があれば、常に持ち歩いている電子辞書を使って調べていた。

     施設長の世古豊さん(74)は「2人から漢字で書かれた年賀状をもらった。能力が高く日本語の進歩も早い。期待しています」。

     伊勢市河崎3丁目の特養「双寿園」でも、アニ・ラハユさん(22)とスリスティアニングシーさん(23)が介護福祉士を目指して働き始めた。スバル台の2人と同様、母国の看護師資格を持つ。30日は施設を見学、歩行訓練をしていたお年寄りに「大丈夫ですか」「がんばってください」と話しかけた。

     スリスティアニングシーさんは「介護福祉士になって双寿園でずっと働きたい」。アニさんは「漢字を読むのは苦手。早く利用者の名前を覚えてみんなと仲良くしたい」と笑顔で話した。しばらくはデイサービス利用者の食事の世話や入浴の手伝いなどをし、慣れれば夜勤にも入る。

     塩谷実彦理事長は「前向きな姿勢が伝わってくる。同じ職場の人たちと刺激し合いながらがんばってほしい」と話した。

    ■福祉施設は求人難
    ■日本語学習支援を

      特養など福祉施設が十分な人材を確保するのは難しい状況だ。

     三重労働局によると、08年4~12月に県内のハローワークに申し込まれた介護関係職の求人は5399人。対して就職が決まったのは872人に過ぎない。報酬の低さも大きな理由とされる。

      県は2025年には05年より1・2万人多い2・9万人の介護職員が必要になると試算。だが、(1)離職率が高い(2)介護福祉士養成校の定員割れが著しく若者の参入が減っている(3)資格があっても従事していない人が多い――など将来の人材確保も容易ではないとみている。

      こうした中、尾鷲市と伊勢市の両施設は、厚労省の外郭団体・国際厚生事業団を通じてインドネシア人の受け入れを希望した。スバル台の世古施設長は「職員は30代後半から40代が多い。若手の人材がもっと欲しい」と話す。

      両施設は寮を用意。祈りの部屋を確保したり、施設で取る食事に豚肉を入れなかったりと宗教面の配慮もする。

     4人は3年後、日本語で実施される介護福祉士の国家試験に合格すれば、日本で働き続けることができるが、不合格の場合は、帰国しなければならない。合格率は約50%。日本人に混じって合格するには日本語学習の十分な支援が必要だ。

     今回、インドネシア人は24都府県に赴任した。受け入れ施設や介護福祉士などがネットワークをつくり、日本語や日本文化に慣れるようにと支援に乗り出す動きもある。

     今春にはEPAによって、フィリピンからも介護福祉士候補が来日する。しかし、将来、県内で多くの外国人介護職員に活躍してもらうための行政側の支援は見られない。

  • 【紀勢新聞(2009年2月1日)より】
    介護福祉士目指し
    インドネシア女性就労開始

     社会福祉法人長茂会が運営する尾鷲市南浦の「特別介護養護老人ホーム スバル台」でこのほど、介護福祉士を目指すインドネシアの女性二人が働き始めた。

     昨年四月に現地の看護学校を卒業したユリ・スティアニングシーさん(二二)とラトナ・ニングシーさん(二四)。日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づく看護士・介護福祉士候補者の受け入れで、昨年八月から横浜市で日本語研修を受け、一月二十八日から就労を開始した。

     介護福祉士候補者の日本滞在期間は四年以内で、二人は三年間の実務経験を積んで二〇一二年の介護福祉士国家試験を受験。資格を取得すれば引き続き日本で働き続けることができるが、取得できなければ帰国しなければならない。

     三十日には入所のお年寄り約三十人が参加して歓迎会があり、世古豊施設長から辞令、お年寄りの代表から花束を受け取った二人は、さっそく一人ひとりの手をとってあいさつ。覚えたての日本語でやさしく語り掛ける一生懸命のあいさつがお年寄りの胸を打ち、中には涙を流す人もいた。

     この様子を見た世古施設長は「私たちは二人を教える立場にあるが、やさしさや思いやりをこの二人から学びたい」と語っていた。

  • 【南海日日新聞(2009年2月1日)より】
    長茂会の特養で実習
    インドネシア女性介護研修の2人

     インドネシアから介護研修生として来日したラトナ・ニングシーさん(24)とユリ・スティアニングシーさん(22)の女性2人が28日から尾鷲市南浦の社会福祉法人長茂会(世古祐臣理事長)の特別養護老人ホーム「スバル台」で介護職員として働いている。 2人は看護大学(4年制)を卒業し、看護士の資格を持つ。日本とインドネシアで2007年8月に署名された経済連携協定に基づき来日。横浜市での半年間の語学研修を終え、同老人ホームに赴任した。

     働きながら勉強し、3年後の介護福祉士試験合格を目指す。国家試験は日本語で実施され、不合格の場合は帰国しなければならないという。

     スバル台の入所者はショートステイも含め、約100人。30日に2人の歓迎会があり、お年寄りたちは大変喜び、涙を流す人もいたという。世古豊施設長(74)は「2人はお年寄りにやさしく、まじめで、よく気がつく。スバル台職員の手本になります」と話している。

     2人の日本語は片言だが、英語も話せるバイリンガル。ユリさんは中学校で習ったアラビア語も堪能。1日5回のお祈りも欠かさない。「豚肉とお酒は食せないが、日本との文化の違いは問題ない。インドネシアは冬がないので、日本の寒さに驚いた」と話す。

     週3回午前9時から同10時まで日本語の指導も受ける。「早く日本語を覚えて、試験に合格したい」と意欲的。世古施設長は「介護福祉士の試験は日本人でも難しいので、頑張ってほしい」とエールを送る。

     インドネシアからの研修生受け入れは国内で50施設。県内では長茂会と伊勢市の特別養護老人ホームの2施設で、初の受け入れ。厚生労働省の外郭団体国際厚生事業団を通じて研修生を受け入れた。

  • 【「福祉みえ」2009年7月号】(三重県社会福祉協議会発行)より

     インドネシアから介護士を受け入れて日本とインドネシア共和国が結んだ経済連携協定(EPA)に基づいて、今春、三重県にもインドネシアから介護福祉士候補生がやってきました。果たして、彼ら・彼女たちは福祉人材難の救世主となりえるのでしょうか。また、迎え入れる私たちは、どのように対応するべきなのでしょう。このレポートを通して、一緒に考えていきましょう。

    「日本人が失いつつあるものをもっています」(世古副理事長)

     今年1月28日、尾鷲市にある社会福祉法人長茂会に、インドネシアから介護福祉士候補生が2人着任しました。ユリ・スティアニングシーさん(22)とラトナ・ニングシーさん(24)です。祖国では同じ4年制の看護大学を卒業した2人。昨年8月に来日し、横浜で語学研修を受けた後、晴れて長茂会での就労が決まったのです。仕事は2月1日からスタートし、1日に8時間働いてその後は語学や介護の勉強等にあてています。

     6月8日、2人が勤務する長茂会の地域密着型小規模特別養護老人ホーム「あかつき」にお邪魔しました。この施設は平成19年9月にオープンしたばかりで、定員は29名。要介護者が住み慣れた地域で生活を継続しながら、入浴、排泄、食事等の介護や日常生活の機能訓練を行っています。

     施設の棟内に入ると、ちょうど2人を交えて職員と利用者さんの計20名ほどで「ぼうずめくり」を楽しんでいるところでした。何度も「ワァーッ!」と歓声があがり、たいへんな盛り上がりです。なんと、2人はすっかり馴染んでおり、日本語でコミュニケーションを交わしていました。しかも、遊びの間にも水分補給の介助などをさりげなく行っています。

     長茂会の副理事長である世古豊さんは2人についてこう語ります。「なんといっても性格が明るいですね。彼女たちと利用者さんが写真を撮ると、今まで見たことがない笑顔を引き出すのでびっくりしました。おかげで施設の雰囲気もずいぶん明るくなりました」。

     また、2人に仕事を教える主任の仲治美さんもこう話します。「看護士の資格があるので、日本人の新人よりはるかに仕事はできますし、利用者さんの名前と顔はすぐに覚えて、すぐに溶け込んでくれました」。

     当初、世古副理事長は2人がうまくやっていけるかどうか、不安をもっていたそうです。しかし、歓迎会で忘れられないことが起きました。

     「お父さんとお母さんから離れて、遠い国から介護福祉士の資格を取るために、そしてみなさんの介護をさせていただくためにやってきたことを私から利用者さんに説明し、2人が日本語で一生懸命あいさつをしました。すると多くの方が涙ながらに2人を大歓迎してくれたんです」(世古副理事長)

     これを機に一気に距離が縮まりました。実は、インドネシアには「介護」という職業はありません。しかし、看護を専攻した2人には医療の知識と技術とホスピタリティがあります。それが介護にうまく発揮されているようです。驚いたことに、利用者さんからは早くも「祖国にはもう帰らないで」と言われているそうです。彼女たちがこんなにも早く溶け込み、ここまで言われるようになったのは、次のような理由があります。

    「彼女たちは今の日本人が失いつつあるものをもっています。たとえば、急に体調が悪くなってごはんが食べられない人がいると、本気で涙を流して心配するのです……」

    「仕事は楽しいです」(ラトナさん)

     ユリさんとラトナさんに仕事の話をうかがいました。
    「仕事は遊び(レクリエーション)もお風呂(の介助)も楽しいです」(ラトナさん)。

    「インドネシアでも日本でも、お年寄りは同じです。違いはありません。お年寄りは本当にかわいらしいです(※愛すべき存在という意味)」(ユリさん)

     まさに、今の日本人がもっていないやさしさが表れた言葉です。介護を単なる作業や仕事だとは思っていないのです。一方で、こんな感想も漏らしていました。

    「仕事でむずかしいのは、誰がどうで、誰がどうだったかが、わからなくなることです」。

     補足して説明すると、介助の必要な利用者さんと自立支援のために見守らなくてはいけない利用者さんの区別がわかりづらい、ということです。どうやらこのあたりに今後の課題があるようです。もう少し掘り下げて考えてみましょう。

    「課題をあげるとすれば、言葉から気持ちを読み取ること」(仲主任)

     どんな仕事であれ、外国人と共に働く場合、通常3つの壁があるといいます。それは「言葉」「宗教」「生活習慣」です。ユリさんとラトナさんはイスラム教徒です。(つまり宗教と生活習慣はほぼ一体)。1日に5回お祈りを行い(勤務中は2回)、豚肉とお酒は御法度。また、ラマダンといって約1ヶ月のあいだ日中の断食を行うこともあります。そこで長茂会では、お祈りのための部屋を用意したり、食事に豚肉を出さないなど配慮をしています。

    「お祈りは休憩時間を利用してやってくれているので何ら支障はありません。しいて課題をあげるとすれば、利用者の言葉から気持ちを読み取ることでしょうか」(前出の仲主任)。

     2人はインドネシア語と英語を話せますが、日本語は来日してから勉強をはじめたばかり。日常会話では差し支えがないほど上達しましたが、今後は微妙な言葉遣いから相手の心を読み取ることが求められることになります。さらに、書く能力も必須です。独り立ちするためには日報や記録は欠かせません。なにより、介護福祉士の国家試験は日本語で出題されます。もし資格が取れなかった場合、彼女たちは祖国へ帰らなくてはならない境遇にあります。

     このようなリスクの一方で、受け入れる側の施設にもさまざまな条件や負担があります。たとえば常勤の介護職員の4割以上が介護福祉士資格を有していること、介護福祉士養成施設における実習施設と同等の体制が整備されていることなどです。受け入れのための経費も1人につき60万円ほどかかります。また、インドネシア人の介護福祉士候補生は人員換算されません。つまり、人件費は施設の全額負担となります。世古副理事長に、今回の受け入れの理由について尋ねました。

    「今、長茂会は人員の不足はありませんが、今回の受け入れは将来を見越して行いました。それに受け入れることが、介護業界の向上につながってほしいと願っています。全員でサポートしていくので、絶対に介護福祉士に合格してもらいたいですね」。

     5月にはインドネシアだけでなく、フィリピンからも介護福祉士候補生がやってきました。外国人介護士に対する関心は高まってくるものと思われます。

     そもそも、なぜ日本は海外からの介護の担い手を呼ばなくてはならなくなったのでしょう。また、今の福祉は「待遇の悪さによる福祉人材難」や「離職者への雇用の受け皿」といった、経済的な面ばかりがクローズアップされていますが、"福祉の原点"がおろそかにされてはいないでしょうか。

     「仕事は楽しいです」。ユリさんとラトナさんの言葉を、大切に考えていきましょう。